遠藤康介プロフィール

遠藤康介

小さいころから運動は好きだったが
すごくできるわけではなかった。
だからこそ、
正しいからだの使い方を知り、
少しでも良い結果を出してほしい!
2001年アメリカマッサージ国家資格
National Certification Board for Thyeraputic Massage and Bodywork
2003年
ホームヘルパー1級
2016年
氣アラインメントマスタープラクティショナ―
◯整体歴15年3万5千人以上、
10万件の施術経験
リンパを流して
痛みの原因から緩めるオリジナル整体。
◯運度能力を高めるからだの使い方指導
動きを見るとどこが使えていないかわかります。
95%以上プロスポーツ選手も
知らないからだの使い方です。

◯本番に弱い、スランプ、イップス、
勝負弱いなどの原因取り除きます。

3歳の頃からずっと水泳一筋。他の運動も好きだったけど、ものすごく出来るわけではなかった学生時代。選手としてはトップに立てないと感じていたのて、指導者になろうと体育大を目指す。
それでも高校3年の時は人生初の全国大会に出れるかもってぐらい調子が良くて練習も順調だったんだけど…。
インターハイ予選直前に足首を捻挫し大会は満足な泳ぎもできず、悔しい想いしか残っていない最後の大会になってしまった。
その怪我をきっかけに、後輩に怪我で悔しい想いをさせたくないと更に体育大、そしてスポーツトレーナーへの想いが強くなっていった。
どうしても体育大に行きたくて普通の予備校に通いながら、体育大向けの予備校で実技の練習も。本当に運動ができる人達が集まっていて、自分の専門外の事でもものすごい結果で衝撃だった。からだの柔らかさには自信があったので、マット運動はまずまずできたけど、自分の志望校にはマットは入ってなかったのであまり意味がなかった。
当時は短距離走が苦手で、その予備校に入った時は100M13秒9だった、圧倒的にビリ。それが2浪時の冬には練習ガンガンやった後に測って50Mは5秒9、100Mは11秒9まで速くなっていたな。それでもビリだったけど。でも、走り方をちゃんと習ったらタイムが伸びたというこの時の経験は今にも繋がっている。
どうしても体育大に行きたかったけど、3年チャレンジしても、残念ながらどこの大学とも縁がなかった。体育大に行ってからスポーツトレーナーの本場アメリカに留学と考えていたけど、さすがに3浪は出来ない。スポーツトレーナーの専門学校行こうかなと考えていたところに、留学斡旋の学校を見つけて。体育大行かないで留学しちゃえば良いなとその学校に入学。
1年後の1998年の6月にラスベガスに渡米。いきなり体育学部は入れないので、短大で一般教養を学びながら学部に入るのに必要な科目を履修。生物と解剖学にものすごく苦戦し4回連続で必要な成績を取れず、本当にどうしたら良いか分からなかった。
ひとまず2年で短大の卒業単位を所得し、大学に編入の手続きを済ませ、あとは入学許可を待つだけの時に緊急事態発生。色々あって親から日本に帰って来いとの指令…。その時は、かなり焦った。というのも、2浪して1年留学斡旋の学校、2年アメリカの短大で一般教養の勉強と高校卒業して5年経っていた。男で短大卒は日本で通用しないので、5年間無職、しかも何か専門を学んだわけでもない。
日本に帰っても仕事はないなと…。
4つの幸運
◯マッサージ学部があり、1年でアメリカのマッサージの国家資格を取れる。
短大と四大では授業料が倍違う。短大ならなんとかなるのではと、短大のパンフレット見ていたらマッサージ学部があると書いてあった。。元々水泳の選手時代に仲間と練習前後、レース前などマッサージしあっていたので、興味はあったのと、ちゃんと習ってみたいなって思っていたのでラッキーだった。四大に行くのをやめて、短大のマッサージ学部に進学する事を決めた上で親と相談。親も認めてくれて本当に助かったし有り難かったな。
マッサージ学部の学長が当時の全米カイロプラクティック協会の会長だった事。
◯アトラス解剖図解を書いている方が解剖学の教授だった
◯検体が男女2体あった。
解剖学の図解を書いている方の解説付きで実際の検体で解剖学を学べた事のは大きかった。何回も必要な成績を取れなく苦手だった生物と解剖学が楽しくなって。言葉が分からないから出来ないと思われるのが嫌ですごく勉強したんだ。全然覚えられなかった筋肉の名前をものすごくリアルにイメージできてドンドン覚えていく事ができた。スウェーディッシュマッサージ、指圧などを学び学部はオールAの首席で卒業できました。
専門課程を卒業すると1年インターンとして働けるビザが取れるのだけど、書き留めで送った書類がなくなり申請書がどこにあるか分からなくなってしまった。自分よりも半年遅くに申請した人が先にビザを手にするような事もあったな。なんとかしたくて色々なところに掛け合ったけど反応はイマイチ。そんな時に911が起こり、新たにビザがおりにくくなり、再申請も出来ないとの事で2002年6月に帰国。
日本に帰ってもアメリカの国家資格は全然相手にされなかったな。面接受けたくてもアメリカの国家資格?カイロプラクティックじゃないの?じゃあ使えないねと話しも聞いてくれないお店がほとんど。アメリカでの経験を活かせる所を探しつつホームヘルパー1級の資格を所得。介護の最前線で戦うには精神的についていけないと実感し、勉強中に改めてマッサージがやりたいと強く感じていた。

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